もう今では無くなってしまったが、会社の独身寮が都内のある 所にあった。 2階建てのかなり古いアパート形式の寮で、 トイレは共同、風呂は無く近くの銭湯を利用、洗濯機は1台これ また共同使用、電話は寮の玄関に公衆電話が設置してあるという ものだった。 陽がまともに射す部屋は一部の部屋だけで、ほとんどは1年中 じめーっとした昭和の時代を大いに感じさせるアパートであった。 いつしか社内では、誰が付けたか判らないが「アウシュビッツ」と 呼ばれていた。 そこからも如何なる環境であったか創造に難くない。 35~50年前に入社した社員であれば、ほとんどはこの寮の存在は 知っていた。 そんな寮だから、時々とんでもない輩が出てくる。 当時本当にアルコールを手放せない先輩がいた。 1年365日飲んで 帰ってくる。 ある日お茶を飲もうとガスコンロでお湯を沸かした。 そのうち居眠りをしてしまい、やかんを真っ赤にしてしまった。 火事の一歩手前である。 また、寝タバコで畳を焦がしたこともあった。 もう危ない、危ない。 そして毎夜酒を飲んで帰っては「私はちょうちょ」と叫んで隣家の 屋根に飛び移るのが日課であった。 寮の2階の窓から70~80 cmの所に隣の家の1階部分の屋根がある。 そこへ飛び移っては 雨樋でも伝って降りてくるのか、また「ただいまあ」と寮の玄関から 戻ってくる。 私が寮を出た後に、そんな彼が入院したというニュースが入った。 (そうだよな。 あれじゃ肝臓を悪くするよな) 見舞いに行き病室に入った。 (ん?! なんか様子が変だぞ?) 頭に包帯、ベッドに横たわっているパジャマの間からも白い包帯が……。 「あっ! 有り難う。 見舞いに来てくれて。」 といつもの元気な声で彼は言いながら、「いたたた」と顔をしかめる。 どこが悪いか尋ねると、いつものように「私はちょうちょ」と叫んで 窓から屋根に飛び移ろうとして、その日は足がそこまで伸びずに寮と 隣家の間に落っこちて、顔を打撲、あばらを3本折ってしまったとの こと。 (そうか。 飛べないちょうちょだったんだ) 退院間もなく彼は会社を辞めた。 翌年、新たに孵化したちょうちょはなんと! 地元の市役所に入った。一覧へ