学生時代、落語研究会に所属していたことは、もう何度も紹介した。 学生落語とはいうものの、やはり高座名が必要になる。 本物の世界でも前座、二つ目、真打と普通は3回名前が変わる。 中には、ずーっと同じ名前で通すことも稀にはあるが。 そして噺家によってはもう一つ変わることもある。 それは昔からの 大きな名を継いだ時だ。 さて、我が落研においては1年生、新入部員の時に先輩から名前を 付けられて、それを2年生まで使う。 その後3年生時に次の名前、 4年生時に最後の名前を襲名(と言うと格好いー)する。 私はまず「おも茶」という名前を付けられた。 新入部員の名前を 付けるのが4年生の楽しみでもあったのだが。 4年生にぐるっと 取り囲まれて「うん。 おもちゃみたいな顔をしてるから、こいつは おも茶だな」とある先輩が言うと、「それ、いいねえ」と他の4年生が 言って決定。 実にテキトウではある。 3年生以降は、先輩達が代々使ってきた名前を受け継ぐのが慣わしと なっていて、私は「文生」という名を継いだ。 そして、いよいよ4年生になった。 もう先輩は居ない。 申し訳ないが、私は代々の名前を継がずに、自分でどうしても付けたい 名前にした。 53歳で早逝してしまったが、私は古今亭志ん朝が大好きだった。 その大好きな噺家から文字を頂きたいと常々考えていて、先輩が居なく なる4年には、この名前を名乗りたいと思っていた。 「ん」と「朝」を戴いて、頭に「華」の字をくっつけて。 華ん朝……華ん朝……華ん朝。 うーん良い名前だ。 実に綺麗だ! 初代華ん朝の誕生である。 寄席文字にすると、これがまた何とも言えない。 本当に綺麗な名前だ。 今でもこの名前を思い出すと素晴らしい名前と 悦に入る。 読み方は「カンチョウ」。 だからなのか卒業して40年を過ぎたが、残念ながら「華ん朝」は 初代で終わっているらしい。一覧へ