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シンイチ オジサンのあんなこんなー 子供の記憶 Ⅲ

さらにもう一つ子供の記憶を。
 
息子
 福岡にいた頃。 息子は幼稚園児だった。 5歳だったのかなあ。
 小さい時から結構外で遊ぶのが好きだった。 
 そして当時私は営業所に居て、会社の最前線で連日客先を廻っていた。

 その日、いつものように客先を訪問してお客さんと話をしている時に
 「会社からお電話ですよ」と事務員の方が言ってきた。
 なにせ、まだ携帯はおろかポケベルも無い時代。 連絡は固定電話か
 公衆電話の時代。

 (会社から? なんだろう?)と電話に出たところ、「息子さんが
 事故に遭われて入院されたそうです。 病院はかくかくしかじかです」
 というものだった。
 こういう時は最悪のことを考えるものだなと、後で振り返るとそう思う。

 病院に駆けつけ病室に。 そこには頭と両腕に包帯を巻いた息子の姿が。
 「おい。 大丈夫か!」と声をかけた。 
 すると涙を浮かべた息子の第一声は「パパ、ごめんなさい」というものだった。
 幸い、怪我は10mくらい飛ばされたにしては頭部の軽い打撲と腕の擦り傷
 程度だった。 
 医者曰く、「小さな子供で身体の力が抜けていたから、良かったですね」と
 いうものだった。

 痛いはずなのに謝ってきた息子を、この時ほど抱きしめたいと思ったことは
 なかった。

娘
 小学校に入った頃だったか、日本のシンクロがかなり力をつけてきて、世界の
 大会でも銅メダルを獲り始めたくらいの頃。
 娘もテレビに流れるシンクロの演技を見つめていた。

 ある日一緒に風呂に入った時のこと、私の準備が追いつかず娘が先に入っていた。
 私がかなり遅れて風呂のドアを開けると、娘の姿がない。
 (あれ?)と思った、その時湯船に潜っていた娘が「プアー」という声とともに
 お湯から飛び出してきた。
 そして、顔を何度も何度も小さな両手で、顔を叩くようにして上から下へ水を切って
 いる。
 潜っては「プアー」、潜っては「プアー」、これを目を赤くしながら何回も
 繰り返している。
 この仕草がたまらなく可愛くて、心から抱きしめたいと思った。

そんな子供達もそれぞれ所帯を持ち、独立していった。
でも、俺はいつまでもお前達の父親だぞー。

アルバム「愛」の「父親になれた日」聴いて下さい。

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(c)ShiNichi-Ojisan.