私は割と雪深い富山県で生まれ育った。 高校までは富山の 空気を吸っていた。 その頃の富山県はまだまだ陸の孤島という雰囲気があって、 東京へ出るのにも、列車だと随分と時間がかかったものである。 勿論、新幹線なんてものは無いし、高速道路もまだ整備されて いなかった。 気になってネットで調べてみると、北陸自動車道は 昭和47年開通とあった。 私が高校3年の時だ。 そう考えてみると、今は道路も鉄道も便利になったもんだ。 世の中変わるよねえ。 年明けに富山へ入ってきた。 雪は降っては融けてしているので、 道路にはほとんど無い。 結構なことである。 しかし、その風景を高速上から眺めていて、ちょっと寂しい郷愁に かられた。 小学校や中学校の教科書には必ず富山の散(居)村とか、砺波平野の 散(居)村として、富山が紹介されていた。 まだ開けてないということの裏返しと言えば裏返しで、決して有り難い ことでもないのだが、子供心には自分の故郷が教科書に載っていると いうのが嬉しかった。 その平野の真ん中を高速道路が走っているわけだが、両サイドに目を やると、今や住宅が立ち並び、工場や倉庫、あらゆる施設が大きく 立派になっていて、もう散(居)村と呼べる風情はなくなった。 昔は隣の家に行くのに、10分、20分かかったという話をよく耳に したものだが、今や少し歩けば…である。 世の中変わるよねえ。 最近の教科書にも、まだ富山の散(居)村として紹介されてんのかなあ? いくらなんでももう載っていないんだろうなあ。一覧へ